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1988年3月投入のP-U32L(ひ68)です。 U32系列では最終増備のグループで上期に14台が入り平塚、秦野、大和営業所に在籍しました。 写真は【平68】系統で待機中の姿、愛甲石田駅での記録です。 |
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1971年式の4R95(ひ63)です。傾斜型の富士重R13型ボディを架装した4R系列で1979年1月に撮影された1枚です。撮影 まにまにカレチ様 |
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1973年式のU20N(よ23)です。横浜に在籍していたUDの写真で、フロントは4枚窓です。 足回りは直6のPD6H(136kW(185PS))型を搭載しました。撮影 くるまや様 |
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1975年式のU20N(よ77)です。富士3Eボディ仕様の長尺車で、この前後の年式とは異なりフロントバンパー上にナンバープレートを装着していますのでまた雰囲気が違って見えますす。撮影 くるまや様 |
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1977年上期のU20N(あ134)です。1973年から投入された型式で、この富士3E型ボディはU31の前期まで投入されました。撮影 花屋敷様 |
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1979年上期のU30N(あ115)で、数少ない貴重な試作冷房車だった車で長尺車です。冷房車ということもあって1988年上期まで在籍していました。 U20系とは異なりエンジンは出力の高いPE6H(162kW(220PS))型を搭載しました。撮影 ジャック様 |
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1979年上期のU20N(よ44)です。1979年下期まで投入された型式で、この代から運賃幕が方向幕の横から現行のフロントガラス下へ移動しています。両サイドも同じU20Nのようです。撮影 くるまや様 |
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1980年上期のK-U31N(よ47)で、本郷車庫での水浴びのシーンです。水飛沫がとても綺麗です。 この代からは昭和54年排出ガス規制に適合したU31系列となり、排ガス記号となる「K-」が付くようになりました。撮影 くるまや様 |
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1980年下期のK-U31L(あ160)です。富士3Eボディは1973年から1982年上期まで投入されていました。 このL尺のほかに長いN尺も投入されていました。平塚で最も多く在籍し、厚木や大和でも見られました。 |
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1980年下期のK-U31L(ま110)です。町田の日産ディーゼル車は1986年のU32系まで投入されていました。撮影 鎌倉営業所様 |
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1981年上期のK-U31L(ひ64)です。冷房車を示すペンギンマークは可愛らしいデザインでした。撮影 ゆたりん様 |
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1981年または1982年式のK-U31L(平塚)です。写真では既に廃車の手続きが済んでおり、機器類や社名等も剥がされています。社紋は剥がされずオレンジ色に塗りつぶされています。この後、国内で再登録され走ったのでしょうか・・・。左にいるのはMK115!? 撮影 前島様 |
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1981年式のK-U31L(ひ63・ひ4)です。ルーバーの数や面積が印象深く残っています。どちらも関東自動車へ売却されていますが、いずれも廃車となっています。撮影 相州屋様 |
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1981年下期のK-U31L(ひ99)です。富士重工3Eボディを架装した冷房車です。この代の平塚車は6台を確認しており、写真の車は引退後は関東自動車へ移籍し活躍しました(栃木22う245)。撮影 鎌倉営業所様 |
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1983年上期のK-U31L(ま152)です。この富士5E型ボディは1982年下期から投入され、それまでは富士3E型ボディが投入されていました。撮影 相州屋様 |
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1983年上期のK-U31L(ひ22)です。田村車庫で休んでいる姿で、まだ系統番号が設定されていな時代の記録です。この上期の平塚は2台を確認し、廃車後はいずれも関東自動車へ移籍しました。撮影 まにまにカレチ様 |
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1984年下期のP-U32N(や59)です。若葉台中央での1枚で、この代の大和は4台が在籍しましたが、いずれも1986年3月に横浜営業所から転入しました。廃車後は4台揃って関東自動車へ移籍しました。撮影 綾瀬師匠様 |
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1985年上期のP-U32N(あ88)です。この頃のU32系はリアにもエンジンルーバーがあり、側面後部のルーバーも横長の形をしていました。 リアビューは同年式の旧あ131号車です。両車とも1994年上期には姿を消しています。この年の上期まで前後の方向幕は小さいタイプでした。撮影 it様 |
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1985年上期のP-U32N(あ131)です。 全長11.06m、ホイールベース5.5mの長尺仕様で、この代のUD長尺車は厚木に7台が在籍、中間のL尺は町田へと投入されていました。 U32は1984年上期から1988年上期にかけて入り、やはり写真の年式ですと旧塗装仕様でフロントの方向幕も白地の小型タイプでした。 写真は半原にて厚01系統待機中の姿です。撮影 it様 |
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1986年上期のP-U32N(ひ16)です。昔は長尺の日産ディーゼル車も多く在籍し、この代は1997年上期まで見ることができました。撮影 it様 |
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1986年上期のP-U32L(ま133)です。こちらは少し短いL尺です。町田への日産ディーゼル車導入はこの年式で最後となっています。撮影 it様 |
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こちらもL尺の「ま56」です。町22 上宿行運用時の姿で、現在は上宿発の町田バスセンター行が平日朝1本のみの存在となっている路線です。撮影 綾瀬師匠様 |
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1986年上期P-U32L(は109)です。日立情報線の専用車で富士5Bボディを架装した旧貸切色仕様です。1999年9月に全廃となっています。撮影 相州屋様 |
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1986年上期のP-U32N(ひ119)で、1997年上期に全廃されたグループです。平塚は長尺のN尺が5台在籍しました。フロントのマーカーランプはこの代まで方向幕脇に設置されていました。富士5Eボディのフロント部分の波線塗り分けはこの代までは写真の塗り分け方で、1986年下期車のみ車体裾部まで延長されます。 |
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1986年上期のP-U32L(は110)です。旧貸切色を纏ったトップドアのU32で、秦野駅や二宮駅からの日立情報線で使用されていた車です。P-RA53Nと共に活躍しました。撮影 横浜平島様 |
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1986年下期のP-U32L(ひ37)です。この代の富士5Eボディのみフロントの波線塗装の塗り分けが異なっており、バンパーすぐ真上まで波線が下がっています。また、フロントのマーカーランプはこの代から屋根上へ移りました。 |
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1986年下期のP-U32N(ひ15)です。1997年下期に全廃された代で、長尺バージョンです。旧塗装では最終増備となったグループです。 |
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1986年下期のP-U32L(あ59)です。この代の厚木はL尺が5台投入されましたが、4台が平塚へ転出したため、写真の「あ59」1台のみとなりました。撮影 Fujishima様 |
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1986年下期のP-U32N(や4)です。波線塗装では最後の代となった年式で、写真は長尺のN尺です。「や4・や115」が投入されました。撮影 Fujishima様 |
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1986年9月投入のP-U32L(ひ8)です。 旧塗装では最終増備のグループとなった代で、1986年下期の平塚は長尺のU32Nが3台導入されました。 写真のL尺仕様は厚木からの転入で1989年に平塚へと4台がやって来ました。 写真は小田原駅での【平44】系統での様子です。箱根登山鉄道や富士急行の日野RE100の姿も見えます。撮影 相州屋様 |
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1987年上期のP-U32N(あ146・あ147)です。長尺車では最後まで残った2台で1999年9月中旬まで活躍しました。U32系は1984年上期から1988年上期まで投入されていました。 右は同年式のP-U32L(ひ69)です。 |
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1987年上期のP-RA53N(は114)です。秦野駅や二宮駅〜日立情報線の専用車で旧貸切色を纏っていました。最後まで残った「は126」も2000年6月に廃車となりました。 |
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1987年上期のP-U32L(ひ80)です。新芽も見える桜の木の下を走るU32です。撮影 Yu131様 |
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P-U32L「ひ93(1987上期)、ひ105(1988上期)」で、田村車庫で寄り添うように休む2台です。撮影 Yu131様 |
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1987年上期のP-U32L(は96)です。登場時に見られた塗装で、印象もだいぶ異なっていました。1988年までには現行塗装に塗り替えられました。写真の車は1997年上期に廃車になっています。撮影 相州屋様 |
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1987年下期のP-RA53N(は126)です。日立情報(NBC)線専用車で同年上期に続いて投入された1台です。2000年6月まで活躍しました。撮影 相州屋様 |
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1988年上期のP-U32L(ひ59)で、2000年までに全廃となっていた型式です。当時の平37系統トンネル経由神奈川大学線で使用されていた青の「トンネル経由」プレートも懐かしいです。 |
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1988年3月投入のP-U32L(ひ72)です。 U32系では最終増備に当たるグループでステップバンパーが採用された代です。1987年式までと比較しても滑り止めが全体に敷かれ出っ張りバンパー具合が判ります。 写真は平44系統にて小田原駅で待機中の様子です。1989年12月に新設された広島線の夜行高速バスの広告も懐かしいです。撮影 相州屋様 |
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1988年3月投入のP-U32L(は58)です。 富士5Eボディを架装したU32で1988年上期は14台が入りU32系最終増備のグループとなりました。平塚と大和へ5台、平塚向けは4台が配属されました。 前年までは長尺のP-U32Nも厚木へ入っていましたが、1988年式はL尺で統一されました。 写真は平塚駅での様子で【平74】系統です。 |
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1988年下期のP-U33L(は94)です。U33は1988年下期から1990年上期まで投入された型式で、ボディはモデルチェンジされた富士重の7E型を架装します。L尺のみが在籍し、1988年式では最後まで残った「は101」が2004年2月に廃車となり全廃となりました。撮影 Yu131様 |
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1989年上期のP-U33L(ひ123)です。この代は「ひ122」が最後まで残り、2004年3月に廃車となりました。 |
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1989年下期のP-U33L(は102)です。秦野の下期車は5台が在籍しました。写真は平塚駅で待機中の姿で平74 平塚駅〜下大槻団地経由〜秦野駅線です。撮影 綾瀬師匠様 |
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1989年下期のP-U33L(や046)です。こちらは秦野「は23」から転属し藤沢神奈交へ委託された1台ですが、転入に際しLED表示化改造が施されています。撮影 平社員様 |
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1989年下期のP-U33L(や74)です。2003年9月に秦野「は26」から転属してきた1台です。撮影 じゅげむ様 |
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1989年下期のP-U33L(や74)です。中山駅での様子で、間02系統 鶴間駅〜中山駅線です。撮影 綾瀬師匠様 |
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1989年下期のP-U33L(や91)です。こちらも秦野からの転属で元は47です。ちょうど幕が回転している最中ですね。この代は9台が投入されました。 |
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1989年下期のP-U33L(や91)です。横浜駅西口での記録で、横04系統 横浜駅西口〜鶴間駅線運用時の様子です。大和のU33も少数派で全て転入車、晩年の転属だったため活躍期間も短かったです。撮影 綾瀬師匠様 |
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1989年下期のP-U33L(は98・は80)です。画像の車は2台とも半年ほど湘南神奈交へ委託されていましたが、2004年11月に再び神奈中本体に戻り、社番も0部分を消し空白ができていました。 この代は2005年8月に全廃となりましたが、先に1990年上期車が全廃となっています。 |
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1989年下期のP-U33L(ひ0125)です。2005年8月に型式消滅した車で、写真の「ひ0125」と、「は028」号が最後まで残っていました。 |
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1990年上期のP-U33L(ひ92)です。U33の最終増備に当たる年式です。この型式は平塚と秦野のみに在籍していましたが、2003年5月と9月の転属で初めて大和にも配属されています(1988、1989年式)。最後まで残った秦野車が2005年8月に廃車となりました(は061、は062)。 この代は1989年下期より先に全廃となっています。 |
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1992年上期のU-UA440LSN(ひ090)です。2001年4月から平塚では大型車による湘南神奈交バスへの管理委託車が登場しました。 |
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1992年上期のU-UA440LSN(ひ0106)で、80周年マークが貼られていた2001年の撮影です。1999年2月には厚木系統に進出し、2000年10月に茅ヶ崎駅系統の路線が復活しましたが、当時は神奈中本体より管理委託車のほうが広範囲に渡り行先表示が用意されていました。 |
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1992年上期のU-UA440LSN(ひ078)です。1999年4月に秦野から転入した車です(元は14)。湘南神奈交バスへは2001年4月から管理委託されていました。 写真は七夕期間中の平塚駅付近での姿で、湘南神奈交バスの表示もそう多くは見られなかった印象です。撮影 Yu131様。 |
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1992年上期のU-UA440LSN(ひ95)です。1991年上期に続き10台が投入された代で、秦野にも在籍していましたが後の転属で全車が平塚に集結していました。この代は他メーカー同様に補助席が装備されていました。2006年2月に全廃となっています。 |
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1992年下期のU-UA440LSN(は53→は053)です。この代は3台が秦野に投入され、いずれも2005年9月までに湘南神奈交バスへ管理委託されています。2006年8月に全廃となりました。 |
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1993年上期のU-UA440LSN(ひ87→ひ087)です。この代は平塚と大和へ計5台が配属されました。2006年2月に全廃となっています。 |
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1993年上期のU-UA440LSN(ひ087)です。平塚・大和車共に晩年にLED化されましたが、平塚車は短い期間でしたがメーカー・型式をほぼ問わず神奈川中央交通表示に英語が入り、かなちゃん号表示も見ることができました。なお、この代は1992年下期車より先に全廃となっています。 |
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1993年下期のU-UA440LSN(は92)です。は44と共に2台が在籍した代です。廃車まで幕式のままと思われていた中、2006年5月にLED化されましたがその2ヵ月後に全廃となっています。 |
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1994年3月投入のU-UA440LAN改(さ35)です。2006年12月15日の運行をもって引退となった初代リフト付バスです。2006年3月にはLED化され、音声合成装置は最後の2ヶ月間のみ搭載されていました。 |
こちらは新製当初に在籍していた伊勢原時代の写真です(い110)。仕様はツーステップのエアサスで前ドアには新ステップが、リフトは中ドアに設置されていました。ドアは前中共にグライドスライド式。1995年に入ると2代目リフトバスが増備されたため、七沢病院線での活躍は2年も見られませんでした。 |
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相模原に移り2001年の改番までは「さ201」を名乗っていました。運用は相21系統・相模原駅〜小田急相模原駅線に固定運用されていましたが、伊勢原時代も含め固定路線以外で使用されたかは不明です。なお、社番表記は伊勢原、相模原時代を通して車体左右に各1ヶ所のみでした。 |
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1994年上期のU-UA440LSN改(は085)です。新ステップが装備された初めての代で、秦野2、大和3の計5台が入り、初代リフトバスとは同期です。2007年3月までに全廃となりました。 |
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1994年上期のU-UA440LSN改(は85)です。こちらは新製から約2年の姿で、まだ秦野ではバス共通カードを取り扱っていない頃です。撮影 相州屋様 |
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1994年上期のU-UA440LSN改(や 41)です。大和の中山操車所に在籍したUA440で2006年8月に鶴間から移動しました。 鶴間時代は2001年11月から2006年1月まで藤沢神奈交バスへ管理委託されていたため「や041」を名乗っていました。中山時代は約半年と短く2007年2月に廃車となっています。撮影 綾瀬師匠様 |
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こちらもラスト時の「さ35」です。 伊勢原時代は早々に2代目リフトバスUA460が1995年に入ったため2年足らずの在籍、相模原時代が約9年と長い在籍でした。 転入当初は「さ201」を名乗っていました。なお、ラストのお知らせは相21系統の各バス停にも掲出されていました。 |
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1994年下期のU-UA440LSN改(や100)です。この年式は上期/下期で計10台が投入され「新ステップ」も装備しています。 |
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1994年下期のU-UA440LSN改(や94・や106)です。この型式では最後に増備された代で大和と秦野に在籍しました。写真の車は2006年3月に中山操車所へ移ったため横浜ナンバーへ変更登録されました。撮影 平社員様 |
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1994年下期のU-UA440LSN改(は071)です。UA440系の最終増備車で、下期も秦野2、大和3の計5台が入りました。こちらは2007年7月に全廃となりました。 |
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1994年下期のU-UA440LSN改(や94)です。晩年、大和車は3台とも中山に移り活躍しましたが、写真は1998年の国体輸送時のシャトルバスで愛川町へ足を延ばしたときの様子です。 |
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1995年上期のU-RM210GSN改(ひ0170)です。上期・下期で各5台が投入されたc中型車で秦野と平塚に在籍しました。写真の車は新製当初は「ひ90「でしたがその後神奈交へ移籍し「か3002」へ、その後再び神奈中へ戻り湘南神奈交バスへ委託されました。車体は富士重の8E型です。 |
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1995年上期のU-RM210GSN改(ひ0109)です。このRM系はU-代までスペースランナーの愛称が付いていたモデルで、FE6型エンジン(136kW)を搭載します。 |
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1995年下期のU-RM210GSN改(ひ0116)で、上期に続き平塚は「ひ108・ひ116」の2台が入りました。撮影 TN様 |
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1995年下期のU-RM210GSN改(は056・は079)で、秦野と平塚へ計5台が投入された代で、いずれも湘南神奈交バスへ管理委託されており売店コーナーも設置されていました。 |
1995年下期のKC-UA460LAN改(い111))で、伊勢原に在籍していた神奈中2台目のリフトバスです。リフトバス第1号となった1994年式のUA440と比較すると車椅子用リフトが前ドアに設置されたのが大きな変更点です。新ステップは採用されない代わりに車体全体が数cm昇降するニーリング機構(車高調整装置)が装備されました。 フロントバンパーは出っ張ったステップ式ではなくなりメーカー標準タイプへ、ドアは引き続きグライドスライド式を採用。また、リアのライト類が大型化され、バックランプも角形へと変更されブレーキランプと一緒にコンビを組んでいます。 リアに「乗降中」を表示する点滅式のランプを装備し、左側に「乗降中」が点滅し、右側はリフト動作時に「リフト」と点滅します。 愛11系統 愛甲石田駅〜(愛甲原住宅、神奈川リハビリ経由)〜七沢病院線で活躍し、短期間ですが出入庫の関係で伊74系統で走った時期もありました。 |
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1995年9月投入のKC-UA460LAN改(い111)で、伊勢原に在籍していたエアサス仕様のリフトバスです。写真は2005年1月にLED化改造されるまで見られた幕式時代の写真です。撮影 Yu131様 |
こちらも「い111」で、LED化改造された後の晩年の写真と、登場時の姿。バンパーはステップ付ではない標準タイプでした。 後年はリアのイラストの一部が消されていました。廃車は2008年8月ですが、状態が良くなく一ヶ月前には運用を離脱していました。 |
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1995年9月投入のKC-UA460LAN改(い111)です。七沢病院線で活躍した伊勢原のリフトバスで登場間もない頃の姿です。 |
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1996年上期のKC-RM211GSN改(や0111)で中型車です。この代は大和に2台が配属され、後に藤沢神奈交バスへ管理委託されてました。 |
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1996年上期のKC-RM211GSN改(や0112)です。2台とも2003年中にLED化されています。2009年3月までに全廃となりました。 |
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「や0111」です。さがみ野駅北口で待機中の姿で綾76系統の相武台前駅行です。相鉄バスと共管だった「綾76」系統ですが、2006年1月23日より神奈中単独での運行となりました。撮影 綾瀬師匠様 |
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1996年下期のKC-UA460LSN改(ひ016)のリアビューです。1994年までのUA440系と比べるとランプが大型化されているのが分かります。1996年式はこの1台のみが在籍しました。 |
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1996年下期のKC-UA460LSN改(ひ016)です。この代はこの平塚車1台のみの在籍でした。撮影 Ad-blue様 |
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1996年下期のKC-UA460LSN改(ひ16)です。この代は2009年8月に全廃となっており、写真は神奈交へ委託される前の姿です。 |
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1996年下期のKC-RM211GSN改(元さ144→さ19)です。や033の相模原時代の撮影です。これ以降、日産ディーゼルの中型車投入は見られていません。 |
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1996年下期のKC-RM211GSN改(や033)で、神奈中の路線車では最後の1台となったRM系列です。新製から2009年2月までの間は相模原営業所に在籍し、晩年は大和に移り藤沢神奈交バスへ管理委託されていました。 2009年7月に廃車し型式消滅となり、日産ディーゼルの中型路線車は全廃となりました。撮影 綾瀬師匠様 |
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1997年上期のKC-UA460LSN改(ひ037)です。この代は平塚に3台のみが入り、3台共が湘南神奈交バスへ管理委託されていました。写真は教習中の様子で、専用のLEDや垂れ幕が掲示されています。撮影 Yu131様 |
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1997年上期のKC-UA460LSN改(ひ119)です。この型式は1996年下期〜1998年上期まで投入されましたが数はあまり見られません。平塚と秦野にのみ在籍します。この代からマーカーランプ(前頭部、後頭部に左右2個ずつ配置されていたランプ)が廃止され、屋根上のラインクロスファンの数も減り、リアの取っ手も無くなりました。 |
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大磯駅前で並んだ1997年上期のKC-UA460LSN改(ひ099)と、ロングビーチ運用の伊豆箱根バス小田原営業所の日デPKG-AP35UKです。撮影 Yu131様 |
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1997年上期のKC-UA460LSN改(ひ099)です。平塚に3台のみが在籍する代ですが、2010年3月に全廃となりました。撮影 Ad-blue様 |
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1997年上期のKC-UA460LSN改(ひ119)です。 神奈中では少数派の型式でこの年の上期は平塚にのみ3台が配属されました。2004年には湘南神奈交バスへ管理委託され「ひ0119」となり2010年3月まで活躍しましたが、写真は神奈中本体時代の記録です。 全長は10.725m・ホイールベース5.24mで、エンジンは直6のPG6型(173kW(235PS))を搭載しました。 |
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1997年上期のKC-UA521NAN(は109→ひ501→い501)です。富士7Bボディを架装する長いN尺で、秦野時代は貸切で使われていました。エンジンはUA460系とは違いV型8気筒のRF8型(310馬力)です。エンジンルーバーは右下部分が欠けたような形をしています。クーラーはサブエンジン式で、その後は伊勢原へ転属し2010年3月に廃車となりました。リアビュー撮影 相州屋様 |
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こちらは契約輸送ですが「い501」です。エアサスでホイールベースは5.55mのN尺。伊勢原では専修大学輸送に使用されていました。 |
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1997年下期のKC-UA460LAN改(あ68)です。エアサス・ワンロマ仕様のUA460はこの1台のみが在籍し貴重な存在でした。新製時から日製産業MTP(現日立ハイテクノロジーズ)の契約輸送メインで使用されていましたが、その契約も2004年9月末で終了したため一般路線でも見られるようになりました。2003年にLED化されています。 |
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1997年下期のKC-UA460LAN改(あ68)で、2005年から恒例となっている平塚七夕まつり臨時で本厚木駅南口〜平塚駅間を走ったときの様子で、写真は平塚駅前で待機している姿です。七夕臨の走りはこの年が最後となり、2010年8月末に廃車となりました。撮影 のぞみ様 |
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こちらも「あ68」で、七夕飾りをバックに本厚木へ向かう様子です。後ろに写っているのは「は056」号。撮影 平塚22マニア様 |
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1997年下期のKC-UA460LSN改(は075)です。この代は秦野に3台のみが入り、秦野の管理委託車では唯一のUA460です。写真以外の2台は2003年末に湘南神奈交バスへ移籍しています。 |
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1997年下期のKC-UA460LSN改(は075)です。この代は3台が在籍していましたが、湘南神奈交車は2009年8月に廃車となり、写真の車も2010年7月に廃車となりました。撮影 Ad-blue様 |
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こちらは伊勢原営業所内にて教習中の様子で、LED表示も「教習車」のほか「教習中」も用意されています。撮影 ベイリゾート様 |
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1997年下期のKC-UA460LSN改(は075)です。数少ない存在だった一般色のUA460は秦野車が最後まで見ることができ、写真の車は2010年7月に、1998年上期車は2011年2月に全廃となっています。撮影 ブルーペンギン様 |
1997年10月投入のKC-UA460LAN改(あ68)です。厚木営業所に1台のみが在籍した希少車で、B&Yカラーを纏ったエアサス・ツーステップのワンロマ車で乗車定員は71名。当時の日製産業MTP送迎用に投入されましたが、完全な特定車ではなく路線・貸切兼用、社番も一般番台を名乗っていました。 一般色で投入されていたリーフサスUA460LSNと違い、メトロ窓、メーカー標準バンパー仕様など、同じく標準仕様に近かったMP717ワンロマ同様の装いでした。 |
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バス停移設前の本厚木駅南口で待機している様子です。おそらく一般乗車は不可だったと思われますが、厚107系統の専用方向幕も用意され日製産業MTP(森の里テクノプラザ)を結んでいましたが、後に『神奈川中央交通』表示のみでの運行となり乗降も旭町一丁目付近で見られたようです。フロントに日製産業と書かれたマグネットが装着されています。撮影 菅井隆行様 |
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主にリコー用送迎として活躍した1998年上期 三菱KC-MP717Mワンロマとの並びです。契約輸送が終了する2004年9月までは下荻野操車所に常駐していました。 |
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契約輸送や貸切メインだったため、用意されていた方向幕のコマは10数コマと少なかったのですが、あ68やリコー車は写真のように深夜急行新宿駅→本厚木駅線や、当時厚木で担当していた宮ヶ瀬ダムシャトルバスの幕が用意されていました。実際に充当されたのかは未確認です。 |
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2007年7月の平塚七夕まつり時の平塚駅前での様子です。本厚木駅南口〜平塚駅間の直行バスに運用されました。当時の七夕臨はワンロマ車が集中運用されていました。 |
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2008年の七夕まつりの直行バスです。この年からフロントにも行先表示の紙が掲示されています。撮影 Yu131様 |
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2004年10月以降は特に運用限定されることなく、あちこちで見ることができました。撮影 菅井隆行様 |
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現在もお盆やお彼岸に運行される、海老名駅西口からのさがみ野霊園への直通臨時バスに充当されたときの様子です。撮影 佐藤雄紀様 |
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貸切運用に入った際の様子で、左から愛甲石田駅前でノンステップ「い89」との並び、 2枚目は津久井神奈交バスの三ヶ木操車所での様子、 3枚目は相模神奈交バスの峡の原車庫でノンステップ「さ0174」との並びです。撮影 it様 |
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1998年下期のKC-UA521NAN(は128→い200)です。日立情報線用に投入されたこの車両は1998年11月9日から活躍を始めました。V8エンジンを搭載します。新ステップは装備しません。1997年上期の「い501」とは外観上ではサッシに違いが見られます。撮影 相州屋様 |
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1998年下期のKC-UA521NAN(ひ148→い200)で、富士スピードウェイで行われたF1日本グランプリの観客輸送の様子。撮影 相州屋様 |
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1998年下期のKC-UA521NAN(ひ148→い200)で、平塚競輪場〜本厚木駅南口線運行時の様子です。この代もホイールキャップが外されています。撮影 Ad-blue様 |
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1998年下期のKC-UA521NAN(い200)で、今夏の引退を目前にして平塚から移った1台です。学校の送迎に使用されており、「い501」MP317の代替と思われますが社番は引き継がず、200号を名乗っています。撮影 Yu131様 |
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1998年下期のKC-UA521NAN(ひ147)で、平塚競輪輸送時の様子です。平塚に残ったUA521はこの車1台のみでした。撮影 湘南22様 |
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1998年下期のKC-UA521NAN(い200)で、引退間際の2012年7月に平塚から転入しましたが、やはり伊勢原では1ヶ月強程の在籍でした。撮影 it様 |
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こちらも「い200」で、平塚時代同様に貸切運行にも使用され、写真は平塚駅北口での様子です。撮影 ブルーペンギン様 |
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1999年6月投入のKC-UA521NAN(は114)です。B&Yカラーを纏うトップドア車で、秦野駅・二宮駅からの日立情報線に使用されていたエアサスのワンロマ車です。その後、平塚へ移りました。 |
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日立情報用のKC-UA521NANです。6台在籍する内、5台が日立情報用でした。なお、UA521系はマーカーランプを装備し、新ステップは装備しません。 |
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1999年6月投入のKC-UA521NAN(ひ810・ひ811)です。2006年11月17日に新設された田村車庫・本厚木駅南口〜新横浜駅線に使用されたB&Yカラーで、秦野から移ってきました。 方向幕はLED化改造が施され、リアにも表示器が新設されました。その後、新横浜線も廃止されたため、改番され貸切や平塚競輪に就き、戸塚へも転属しています。 |
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1999年6月投入のKC-UA521NAN(と189)です。4月に新設された湘29系統 湘南台駅東口〜俣野公園・横浜薬大線向けに平塚から貸出された車で、一時期は最大で4台が戸塚で活躍しました。写真の車は再び平塚へ戻りました。撮影 横浜平島様 |
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1999年6月投入のKC-UA521NAN(ひ140)です。今夏の大磯臨時系統に充当されたときの様子でUA521が使用されました。 今夏は大磯駅〜大磯ロングビーチを経由し大磯プリンスホテルまでの路線となり、新たに[磯08]系統が設定されました。撮影 Yu131様 |
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1999年6月投入のKC-UA521NAN(ひ140)です。貸切や平塚競輪輸送で使用されている車ですが、最近になってUDマークも入っていたシルバーのホイールキャップが取り外されてしまいました。右の写真は装着されていた頃の姿です。撮影 姫川希美様 |
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1999年6月投入のKC-UA521NAN(ひ140)で、今夏も運行された[磯08]大磯駅〜大磯ロングビーチ〜大磯プリンスホテル線運行時の様子です。撮影 Yu131様 |
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1999年6月投入のKC-UA521NAN(ひ141)です。貸切や本厚木駅〜平塚競輪輸送で見られました。撮影 湘南22様 |
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1999年6月投入のKC-UA521NAN(ひ141)です。 新製配置は秦野営業所で、2006年11月に平塚へと転入した車で秦野では日立情報線で運用固定、平塚転入時は新横浜線で使用されていました(元は114→ひ811)。 「ひ141」へ改番後は貸切のほか、写真の本厚木駅南口〜平塚競輪場輸送で活躍しました。撮影 it様 |
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2000年6月投入のKC-UA521NAN(は126→と191)です。日立情報線で活躍したワンロマ仕様の長尺車で1997年式から計6台が投入された型式で、2000年式はこの1台のみが在籍しました。1999年式と変化はないですがリアにABSのマークが入っています。足回りは引き続きV8のRF8型(228kW(310PS))エンジンを搭載します。 |
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「は126」の幕式時代、秦野駅・二宮駅〜日立情報線を担当していた頃の姿です。 |
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2006年11月17日に新設された田村車庫・本厚木駅〜新横浜駅線に使用されるため平塚へ転属した直後の姿です(ひ812)。この年式もLED化改造が施されリアにも表示器が新たに設置されています。 |
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2008年2月に新横浜線が廃止された後は改番され「ひ146」となり、貸切や平塚競輪輸送に使用されました。 |
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2009年4月に戸塚へ転属しています(と191)。転属当初から湘29系統に限定運用されました。撮影 横浜平島様 |
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2000年6月投入のKC-UA521NAN(と191)で、UA521最後の1台となっていた車です。2009年4月の転入以来(元は126→ひ812→ひ146)、湘29系統 湘南台駅東口〜俣野公園・横浜薬大前線に限定使用されていました。スペースの関係で新ブランドマークの正面は省略されています。 2013年2月に廃車となり、UA521は型式消滅となりました。撮影 湘南22様 |
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2001年7月に投入されたKL-UA452MAN(は27)です。エアサスのターボ付ワンステップバスで秦野に2台が在籍しました。一般塗装のUA系は3年ぶりの投入となり、マイナーチェンジされた富士重工の新7Eボディを架装します。MBMボディに通ずる部品も見られ、クラクションも三菱ふそうと同じ音色になりました。 |
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2001年7月投入のKL-UA452MAN(は027)です。2006年10月から一部の営業所で実施されている銀ホイールへ塗り替える動きはスローペースながら現在も続いており、最近になって秦野のUA452についても塗り替えが開始されています。 |
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2001年7月投入のKL-UA452MAN(は030)で、この代は秦野に2台のみが在籍します。その後、2012年10月に湘南神奈交バス秦野営業所へ転属しました。撮影 it様 |
2001年7月投入のKL-UA452MAN(は030→か1015へ)です。 2012年に湘南神奈交バスへと移った車で、写真はLED表示化改造されて間もない頃の赤ホイール時の様子と、 もう1枚は銀ホイールへ塗り替えられた頃の姿です。 2016年3月に神奈交を引退後は、ガキ使バス→ライブバス-LIVE BUSとして再デビューを果たしています。 |
2002年11月投入のKL-UA452MAN(は086)です。 富士重工ボディのUA系では最後の代となった車で秦野に3台が投入されました。写真の車は湘南神奈交バスに管理委託されています。2枚目は中ドアのスロープを出した状態です。撮影 運天使様 |
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2002年11月投入のKL-UA452MAN(は0118)です。この代は秦野に3台が在籍しており、富士7E型ボディを架装しますが、日デの富士重仕様はこの代で最後となり、これ以降は西日本車体製で投入されました。撮影 快速準急様 |
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2002年11月投入のKL-UA452MAN(は086)です。秦野駅にて臨時の神07系統 白笹稲荷神社行出発待ちの様子です。撮影 Shimizu様 |
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2002年11月投入のKL-UA452MAN(は086)です。数少ない富士重工ボディ架装のワンステップ車で、秦野のみで見られる仕様です。撮影 Ad-blue様 |
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2002年11月投入のKL-UA452MAN(は086)です。秦野のみに在籍する神奈中では希少なUA452+富士重工ボディ仕様です。撮影 ブルーペンギン様 |
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2002年11月投入のKL-UA452MAN(は086)です。七夕期間中の秦野車は中ドアの右側にも社番数字の紙が掲出されていました。撮影 Yu131様 |
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こちらも同期の「は064」です。撮影 ブルーペンギン様 |
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2002年11月投入のKL-UA452MAN(は0118)です。委託車両では「は086」号車と共に2台のみとなっているグループです。2015年3月に相模原へ転属しています。撮影 サブロー様 |
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2002年11月投入のKL-UA452MAN(さ506)です。2015年3月に秦野から2台が転入し貸切登録され北里大学スクールバスと一般路線の兼用車両となりました。相模原では「さ520」を除けば6年振りのUD車復活となりました。2015年12月に2台共に引退となっています。撮影 NJ929様 |
2002年11月投入のKL-UA452MAN(さ505・さ506)です。2015年3月に秦野から転入した2台で、北里大学スクールバスの契約貸切登録かつ路線兼用だった車です。予想より早く2015年12月に引退となり神奈川中央交通から富士7E仕様のUAは消滅となり、湘南神奈交車が2016年3月で全廃となりました。 写真は「さ506」の貸切ツアー時に撮影されたもので、茅ヶ崎のツインライナー(ち201)や富士7Eボディ同士(いすゞLV280・ち21)の並びも実現されました。撮影 it様 |
2004年10月投入のKL-UA452MAN(あ124・あ125)です。西工ボディを架装するワンステップ車で、厚木へのUD車新製投入はUA460ワンロマの「あ68」以来7年振り、一般塗装車では1987年上期のP-U32N以来、実に17年振りとなりました。 社紋などは同期の三菱ふそうやいすゞと同様の変化が見られ、車内も同様にポールや降車ボタンが増設されています。 |
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2004年10月投入のKL-UA452MAN(あ125)です。納車時から暫くは銀ホイールでしたが、11月中には秦野車同様に神奈中標準の赤ホイールへと塗り変えられました。 |
2004年10月投入のKL-UA452MAN(あ0124)です。2008年4月5日より3年間の試行運行が開始された「宮ヶ瀬湖シャトルバス」に就く様子です。 土休日に運行され宮ヶ瀬湖畔を1週する路線で、利便向上とパークアンドライド方式促進が目的。厚木の相模神奈交バスへ委託されていました。 |
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2004年10月投入のKL-UA452MAN(あ0125)です。厚木には2台のみが在籍する西工ボディのUA452は、いずれも相模神奈交バスへ管理委託されています。撮影 Taku-s様 |
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2004年10月投入のKL-UA452MAN(あ0124)です。厚木のUA452も新ロゴへ張り替えられましたが当初は両サイドへは省略されていました。 |
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2004年10月投入のKL-UA452MAN(あ0124)です。厚木では2台のみが在籍するUA452です。撮影 湘南22様 |
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2004年10月投入のKL-UA452MAN(あ0124)です。稀少な西工ボディのUA452ですが、写真は田01系統 田名バスターミナル〜半原線運用時の様子です。撮影 サブロー様 |
2004年10月投入のKL-UA452MAN(き124・き125)です。 西工ボディを架装するワンステップバスのUA452は僅か4台のみの在籍ですが、2004年2月投入の「ま501・た510」が一般乗車がほぼ不可な状況なため、この厚木北の2台が路線で活躍する唯一の存在となってしまいました。 新製当初は厚木に在籍し(あ124・あ125)、割と早い段階の2006年7月には相模神奈交バスへ管理委託され上荻野車庫所属となり(あ0124・あ0125)、2017年1月の会社再編で現行社番の「き」へと改番されています。 5枚目はRA274との並びです。灯火類の位置が異なっているのが分かります。 |
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2004年10月投入のKL-UA452MAN(き125)です。 厚木北では当時最古参の型式で、KL-代もこのUDの「き124・き125」2台が残るのみとなっていました。神奈中のUAでは最終増備のグループです。 2004年2月の同型より一足早く全廃となっています。 |
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2005年9月投入のADG-RA273MAN(あ85)で、尿素システムを搭載した初期のRA273です。9月投入分は2台のみで、2台共に納入時はシルバーホイール→運行開始前までに赤へ塗り替え→現在は再びシルバーになっています。翌月以降のRA新車は赤に塗り変わることなくシルバーホイールのままです。撮影 Ad-blue様 |
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2005年9月投入のADG-RA273MAN(せ54)です。厚木とのトレードでトップを切って移ってきた車です(元あ78)。撮影 ブルーペンギン様 |
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2005年10月投入のADG-RA273MAN(あ171)です。9月に続いての投入となったUD車で厚木に集中投入されています。 |
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2005年10月投入のADG-RA273MAN(あ177)です。尿素SCRシステムを搭載したワンステップ車ですが、この車のみ最近は正面の「かなちゅう」ロゴが付いていない状態になっています。 ※11/8補足…前面の「かなちゅう」ロゴですが再貼り付けが実施され元の姿に戻りました。 |
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2005年10月投入のADG-RA273MAN(あ174)です。この代は厚木へ9月に2台、10月に9台とまとまった数が在籍します。撮影 Taku-s様 |
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2005年10月投入のADG-RA273MAN(あ177)です。RAワンステップは厚木にしか在籍しないため、平塚駅前に来る姿も七夕のときのみです。撮影 Yu131様 |
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「あ174」号車です。元スヌバスが引退しワンロマ車が減った頃から厚木は一般車による七夕臨も見られるようになっています。撮影 ブルーペンギン様 |
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2005年10月投入のADG-RA273MAN(せ65・せ64)です。厚木〜綾瀬間は8台のトレードが確認出来ています。撮影 菅井隆行様 |
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2005年10月投入のADG-RA273MAN(あ175)です。綾瀬への転出により15台が在籍した厚木のADG-代RA273は7台にまで減少しています。 |
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2005年10月投入のADG-RA273MAN(せ93)です。2013年3月に厚木から転入した1台です(元あ178→あ0178)。撮影 it様 |
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「旧せ54」が国旗を掲げ湘南台駅西口を発車するシーンです。撮影 わんたろう様 |
2006年2月投入のADG-RA273MAN(せ48)です。 2013年3月に厚木から転入した1台(元あ144)で、この代はいずれも厚木に4台が投入されたグループです。 綾瀬の同型は2005年式7台が引退済みのため、1台が残るのみとなりました。3枚目は10月に増備された連節バス・シターロ(せ209)との並びです。撮影 佐藤雄紀様 |
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2006年2月投入のADG-RA273MAN(あ144)です。2005年9・10月に続いての投入となった尿素SCRシステムを搭載したUD車で、やはり今期も厚木営業所に配属されました。 |
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2006年2月投入のADG-RA273MAN(あ180)です。尿素SCRシステムを搭載したワンステップ車で、右は営業所に設置され同システムに使用される尿素水「AdBlue」のスタンドです。AdBlueが触媒内部の排出ガスに噴霧され窒素酸化物を分解します。 |
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2006年2月投入のADG-RA273MAN(せ48)です。突如、厚木営業所とのトレードにより綾瀬へと転入したワンステップのRA273です。綾瀬へのUD路線車は初登場となり引き続き台数を増やしています。右は長後駅西口での様子です。撮影 菅井隆行様 |
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2006年2月投入のADG-RA273MAN(せ48)です。8台のトレードが実施された中、唯一の2006年式となりました。撮影 菅井隆行様 |
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2007年3月投入のPKG-RA274MAN(あ0117)です。2006年8月に続いて投入された代で、厚木に2台が配属されています。このグループから前中ドアの両脇に細い縦長の黒枠が設置されました。 |