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1986年9月投入のP-HT236BA(い16)です。 この代まで導入された波模様の旧々塗装となるブルーリボンです。この下期の9月登録車は「い1・い16・い88・や16・や17」の5台が在籍しました。 写真は伊勢原駅南口で【伊01】系統で出発待ちの姿です。 |
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相州屋様から頂いた写真です。1966年式のRB10(お46)です。車体は金産ボディで左右1灯のヘッドライト、バス窓、3連マーカーランプ、ウィンカーランプなど様々な特徴が見えます。右は東急バスでしょうか、貴重な1枚です。 |
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1967年頃のRB10(ふ86)でしょうか。帝国ボディを架装する2灯式ヘッドライト車です。1975年9月に撮影された1枚です。撮影 まにまにカレチ様 |
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1970年式のRE140(秦野)です。帝国ボディを架装した相模2こナンバーの車で、平塚駅で待機中の姿で大秦野駅行です。撮影 鎌倉営業所様 |
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1980年まで伊勢原営業所は駅に割と近い池端地区にあり、写真はその様子です。日野車が休んでいる姿も見えます。現在の営業所は鈴川地区にあります。撮影 まにまにカレチ様 |
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1973年式のRE140(や70)です。帝国ボディを架装するバス窓車です。1979年4月に撮影されました。撮影 まにまにカレチ様 |
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1973年上期のRE140(ふ58)です。 ホイールベース5.67の長尺REで、この当時は藤沢にも多くの日野車が在籍していました。 左に見えるのは1978年下期の三菱MP117N(ふ111)です。撮影 鎌倉営業所様 |
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1973年下期のRE140(い2)で、こちらは伊勢原のREです。この頃までバス窓仕様だったようです。撮影 鎌倉営業所様 |
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1974年式のRE140(い12)です。日野ボディで側窓が2段サッシとなっています。1979年7月に撮影されました。撮影 まにまにカレチ様 |
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1977年頃のRE141(と163→や47)です。大和には1978年に転入しました。この頃のグループは引退後に東野交通にも移籍しています。1979年1月に撮影されました。撮影 まにまにカレチ様 |
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1977年下期のRE141(ふ30)です。 この年から全長11.12m、ホイールベース5.67mのRE141へと変わり、エンジンも直6のEB200からEB400型(140kW(190PS))へと変わりました。撮影 鎌倉営業所様 |
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1978年式のRE141(い60)です。1979年1月の撮影で、登場から間もない頃の撮影で大変美しいです。撮影 まにまにカレチ様 |
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1978年下期のRE141(い59)です。1977年上期から1979下期まで導入された長尺型式です。リアの大きなルーバーも特徴的です。撮影 相州屋様 |
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1979年上期のRE141(い37)です。リアにある反射鏡の位置が下がりました。また、この代から運賃幕が現行位置に移動しています。撮影 相州屋様 |
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1979年下期のRC321(い61)で試作冷房車です。試作冷房のRC321は平塚にも1979年上期の「ひ68」がいましたが、冷房車ということもあって、非冷房車より長く在籍していました。撮影 相州屋様 |
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1980年上期のK-RC321(い39)です。この代から冷房車の導入も始まりましたが、写真の非冷房車も導入されていました。RCは伊勢原や大和、平塚で見られ戸塚にも1台在籍していました。前扉のガラスが2枚構成になったのは1979年下期からです。撮影 相州屋様 |
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1980年上期のK-RC321(ひ73)です。最も初期のK-RC系で非冷房車です。平塚駅北口の様子も今とはかなり違いが見られます。撮影 ゆたりん様 |
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1980年上期のK-RC321(や75)です。最も初期のK-代で、非冷房の長尺車です。撮影 まにまにカレチ様 |
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1980年下期のK-RC321(い46)です。冷房車は後部のクーラーユニットが印象的でした。撮影 it様 |
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1983年下期のK-RC321改(い14)です。RC系では最終増備の年式で、この後はスケルトンボディのHT系へと移り変わっていきます。撮影 鎌倉営業所様 |
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1983年下期のK-RC321改(い65)です。最終代のRCで1989年に撮影されました。撮影 ジャック様 |
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伊勢原RCやHTの並びです。バスカード取扱い看板や横浜博の垂れ幕も懐かしいです。撮影 ジャック様 |
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1984年下期のP-HT226AA(い70)です。HT22系は1984年上期から1985年上期まで導入されていました。殆どが伊勢原に在籍し、大和にも4台が在籍していました。 リアビューも同年式の「い12」号車です。撮影 相州屋様 |
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1984年下期のP-HT226AA(い12)です。ER200型エンジンを唸らせ走っていた頃が懐かしいです。撮影 it様 |
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1984年下期のP-HT226AA(い20・い21)です。写真のバスは廃車後2台とも東野交通や北海道の事業者へと移籍しました。撮影 鎌倉営業所様 |
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1985年3月投入のP-HT226AA(い87)です。 長尺のブルーリボンでこの代は伊勢原と大和のみに在籍したグループです。HT226系では最終増備に当たり、HT22系は直6のER200型エンジン(162kW(220PS))を搭載しました。 写真は伊勢原駅南口で待機中の姿です。ワンマン灯も懐かしいですが、白地で起点・終点を表示する小型の方向幕もこの代までの仕様でした。撮影 it様 |
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1986年上期のP-HT236BA(や111)です。大和の日野車は1986年9月まで旧塗装仕様が投入されていました。いずれも1997年上期に全廃となっています。撮影 ゆたりん様 |
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1986年上期のP-HT236BA(や10)です。 この上期は伊勢原に3台、大和は4台が在籍し1996年まで活躍しました。冷房車であることを示すペンギンマークも懐かしい存在です。 左に見えるのは1981年下期のいすゞK-CJM550(や38 川重)です。当時の大和も大型車は4メーカーが揃っておりバリエーションも豊富でした。撮影 ジャック様 |
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1986年3月投入のP-HT236BA(い7)です。 旧塗装のブルーリボンで、この上期のグループは伊勢原に3台、大和に4台が導入されました。いずれも全長11.15mの長尺仕様でFFシフトを装備、1996年9月までに全廃となりました。 写真は伊勢原駅南口で待機中の姿です。波線ウェーブラインも懐かしいですが、ワンマン灯も懐かしくなります。撮影 it様 |
1986年下期のP-HT236BA(い1)です。HT22からこの年式までサイドウィンドーの縦幅が若干狭く、1987年式から少し広がります。またこの系列の特徴でもあるエンジンルーバーは隅がR状になっており丸みのある印象を受けます。HT系の旧塗装車は1997年下期に全廃となりました。 |
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1986年下期のP-HT236BA(や16)です。波線の旧塗装ブルーリボンでは最終増備に当たる代です。1997年まで活躍しました。撮影 Fujishima様 |
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「や16」です。若葉台中央にて峰02系統の十日市場駅→鶴ヶ峰行運用時の様子です。後ろには1984年下期の日デP-U32N「や59」の姿も。撮影 綾瀬師匠様 |
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1986年下期のP-HT236BA(い88)です。1989年の撮影で、日野の長尺車は1988年下期まで増備が続きます。撮影 ジャック様 |
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福島県内で見られた旧塗装P-HT236BAの廃車体です。1985下期〜1986年下期の仕様と思われ、伊勢原もしくは大和に在籍していたバスです。両サイドには元川崎市営のいすゞP-LV314Kも見えます。撮影 N東社様 |
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1986年下期のP-HT236BA(い16)です。旧塗装最後のブルーリボンは伊勢原に3台、大和に2台が配属されていました。 |
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1986年9月投入のP-HT236BA(い1)です。 旧塗装では最終増備に当たるグループで、下期は伊勢原に3台、大和へ2台が配属されました。 写真は伊勢原駅南口で待機中の姿です。日野の波塗装は1997年までに全廃となっています。撮影 it様 |
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1987年上期のP-HT236BA(い30、い59)です。左は納車時に見られた塗装ですが、両車で雰囲気が大きく異なりました。右の車も赤いラインが太かったり社番フォントが現行とは違っていました。いずれも短期間で現行塗装へと塗り直されました。幾つかのパターンがテストされたようです。撮影 相州屋様 |
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1987年上期のP-HT236BA(い59、い17)です。この年式から側面窓の縦方向の面積が若干広がっています。1999年9月に全廃となったグループで、1988年下期までは長尺のHT236BAが、1989年上期からは標準尺のHT235BAが導入され、それ以後のHTも標準尺で導入されています。 |
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1987年上期のP-HT236BA(い36)です。長尺のブルーリボンでこの代は伊勢原に10台が投入され、1999年9月まで見られました。撮影 相州屋様 |
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同型(い36)の逆サイドとリアビューです。 |
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1987年上期のP-HT236BA(い33)で1988年3月の撮影です。この代からこれまでの波線塗装から現行塗装へと切り替わりましたが、しばらくは前面裾の赤いラインが太く、側面からリアにかけても中央部の赤いラインが太いものになっていました。いずれも1988年までには現行タイプへ塗り替えられました。撮影 ジャック様 |
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こちらも同期の「い17」でまだ共通カード化前の1996年頃の撮影です。全長11.15m、ホイールベース5.67mの長尺仕様でした。足回りは169kW(230PS)のM10U型エンジンを搭載し、トランスミッションは1986年上期からFFシフトが採用されていました。この代は伊勢原に10台が在籍し1999年6月に全廃となっています。 |
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1987年3月投入のP-HT236BA(い76)です。 神奈中のHT23系は1985年9月から導入が始まりましたが、この代から現行塗装仕様となりました。引き続き長尺が採用され伊勢原に10台が在籍しました。撮影 it様 |
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1988年上期のP-HT236BA(い46)です。4台が投入され2000年6月までには廃車となりました。この代からリアには補助ブレーキランプが付きました。撮影 相州屋様 |
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1988年12月投入のP-HT236BA(い72)です。長尺車はこの代が最後の導入となり、2000年6月に型式消滅となりました。 |
1989年上期のP-HT235BA(い83)です。い82〜い84の3台が在籍しました。この代から長尺車での導入がなくなりました。右2つは同年下期の「い67、い69」です。2003年6月までには廃車となった代です。 |
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1989年下期のP-HT235BA(い67)です。1989年式から長尺の投入は中止されました。長尺車より50cmほど短い車体を持ちます。い69号と共に最後まで残ったP-代ブルーリボンです。 |
1989年下期のP-HT235BA(い69)です。この代は2台が投入され2005年8月まで活躍しました。撮影 it様 |
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1989年下期のP-HT235BA(い67)です。平塚駅で待機中の姿で平92系統のふじみ野経由です。撮影 綾瀬師匠様 |
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1989年下期のP-HT235BA(い67)です。伊勢原駅南口にて出発待ちの姿で平90系統の伊勢原団地経由平塚駅行です。撮影 Fujishima様 |
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1989年下期のP-HT235BA(い69)です。晩年はDPFも装着され活躍を続けました。一足早く↓の1990年上期車が全廃となりました。 |
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1990年上期のP-HT235BA(い75)です。P-では最終増備に当たる年式でホイールベース5.2mの標準尺車が2台在籍します。平95の表示もいいですね。 1989年下期車より一足早く、2005年1月に姿を消した代です。撮影 Yu131様 |
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P-HT235BA(い75、い82)です。どちらも厚木運用を担当していた頃の様子で厚25、厚71系統です。撮影 綾瀬師匠様 |
1991年上期のU-HT2MMAA(い29、い47)で2台が投入されました。P-HT系と比べて前面方向幕付近の形状に丸味が付くようになりました。い29は後年、運賃幕が黒地の物へ替わりました。2台とも2006年3月に廃車となっています。 |
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1991年上期のU-HT2MMAA(い47)です。平塚駅までの様子です。 |
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1991年上期のU-HT2MMAA(い47)です。この代は、い29号車と共に伊勢原に2台のみが在籍しました。2006年3月に廃車となっています。 |
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1992年下期のU-RB1WEAA(お18→さ192→さ14→ち107へ)です。小型のレインボーで舞岡には2000年11月〜2001年9月まで在籍し、東55系統の予備車として日野KK-RX4JFEA(リエッセ)と共に活躍しました。舞岡時代は予備車扱いだったからかあまり走行シーンを見ることができませんでした。撮影 Fujishima様 |
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1992年下期のU-RB1WEAA(さ14)です。 2001年9月に舞岡から転入した1台です。新製当初は秦野に在籍していました(は125)。その後、さ193→お18と移り約1年で相模原に復帰。2004年5月には茅ヶ崎へと転属していきました。撮影 綾瀬師匠様 |
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1992年下期のU-RB1WEAA(と157)です。神奈中では初となるレインボーRBでこの代は5台が投入されました。内訳は秦野2、茅ヶ崎2、戸塚1台です。トップドア、標準床のワンステップバスです。現在のワンステップバスとは異なり段差がかなり大きく低床仕様ではありません。撮影 OK様 |
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1992年下期のU-RB1WEAA(ち107)です。転属歴が多い車で新製時は秦野にいました。2004年5月に相模原から転入し、この社番では2代目のRBです。えぼし号の予備的存在でしょうか。職員輸送にも使われました。 |
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1992年下期のU-RB1WEAA(ま128)です。新製時は茅ヶ崎にいた車で、写真は町田時代に撮影されたものです。町田では1995年末か1996年初頭からの数ヶ月しか在籍せず貸切で使われた程度でした。貸切では厚木市内でも目撃がありました。その後、湘南神奈交バスの秦野営業所へ転出しました。撮影 ま201様 |
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1992年下期のU-RB1WEAA(あ12)です。愛川町内の無料循環バスを担当していたバスです。運行開始に当たり1995年に秦野から転属してきました。この愛川町無料循環バスは1995年7月17日から走り始め、運行開始当初は一般塗装でしたが、1996年夏に写真の塗装に塗り替えられました。 2002年12月のノンステップ新車導入(三菱ME)に伴い廃車となりました。撮影 相州屋様 |
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1993年上期のU-RB1WEAA(い101)です。写真は伊勢原時代の撮影で、その後は相模原→厚木へと転属しました。撮影 相州屋様 |
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1993年上期のU-RB1WEAA(さ192)です。写真は相模原時代1998年の撮影で、相模大野や町田BCからの路線でよく見られました。新製配置は伊勢原でしたが、その後は津久井神奈交バスへも移り、最終的には藤沢神奈交バス藤沢営業所へ移りました。 |
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1993年上期のU-RB1WEAA(ち107)です。えぼし号の予備なのか2002年4月に津久井神奈交から移籍したレインボーです。上の写真と同じ車で、2003年10月に藤沢神奈交へ移りましたが2004年夏までには廃車となりました。 |
1994年上期のU-HT2MMAA改(い70)です。1991年から3年振りの導入で伊勢原に1台のみが投入されました。新ステップを装備し、ヘッドライトとフォグランプが角形へと変更され、前面の「い70」と社番すぐ下の蓋が大きくなりました。 右の画像は新ステップです。このようにあらかじめ奥行きを広く取った1段目のステップ半分が下がってきます。ステップ数は1つ増えるのですが、段差がきつくないのが特徴です。1992年からの試験を経て2000年下期までバスメーカーを問わず採用されたステップです。 |
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1994年上期のU-HT2MMAA改(い70)です。この代は写真の車1台のみが在籍しました。秦野市の下大槻団地で撮影された写真で、伊56系統は2008年9月22日のダイヤ改正で廃止され、下大槻団地への伊勢原車の乗り入れがなくなりました。撮影 のぞみ様 |
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1994年下期のU-HT2MMAA改(い86)です。この代の日野もこの1台のみの投入でした。2007年7月末に廃車となり型式消滅しました。撮影 Yu131様 |
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「い86」です。この車のLED化は2006年2月に実施されました。 |
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1995年上期のU-RJ3HJAA(い15→ち27)で、伊勢原に1台が配属された中型のレインボーです。2002年6月に転属し茅ヶ崎へと移りました。この型式は1995年下期にも1台が伊勢原に入りました。左右非対称のフロントガラスが特徴です。2008年2月に全廃となっています。撮影 it様 |
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1995年上期のU-RJ3HJAA(ち27)で、2008年2月に廃車となった茅ヶ崎のレインボーRJです。廃車までの2ヶ月間はPASMOにも対応していました。撮影 it様 |
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1995年上期のU-RJ3HJAA(い15)です。ち27の伊勢原時代の撮影です。新製当初は路線限定されずあちこちの路線で見られましたが、その後は栗原、鶴巻、愛甲系統メインで見られました。撮影 it様 |
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1995年上期のU-RJ3HJAA(ち27)です。伊勢原から転属してきて間もない頃の撮影です。 |
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「ち27」です。2006年3月にLED化されました。廃車後、2009年に大隅交通ネットワークへ移籍しました。 |
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1995年下期のU-RJ3HJAA(い74→は032→や03へ)です。この代も1台のみの投入でやはり新製当初は伊勢原に在籍していました。上の「ち27」号車と細かい違いが幾つか見られます。その後の転属で大和に移り、2008年7月に廃車となりました。撮影 it様 |
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1995年下期のU-RJ3HJAA(や03)です。2003年3月末に秦野から転属してきたレインボーです。同年6月にLED表示化改造が施されていますが売店コーナーは未設置です。撮影 TANAKUWA様 |
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こちらも「や03」です。大和での方向幕仕様は2ヶ月余りと短かったです。廃車後は2009年8月に道北バスへ移籍しました。2枚目の並び写真はいすゞU-LR332J改「や051」で1995年上期車です。 |
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「や03」で海老名駅東口で待機中の姿です。撮影 綾瀬師匠様 |
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1996年上期のKC-RJ1JJAA(は040)です。KC-からリアのランプが大型化されました。上期は2台が投入され、内1台は湘南神奈交バス秦野営業所に在籍していました。 |
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1996年上期のKC-RJ1JJAA(は040)です。秦野のKC-代管理委託車レインボーも2006年3月にLED化されました。2009年2月に全廃となっています。 |
1996年上期のKC-RJ1JJAA(は040)です。 神奈中では稀少な存在だった中型のレインボーでKC-代は1996年のみに導入、上期は2台、下期は1台の計3台のみが在籍しました。 上期の2台はいずれも秦野に在籍、同期の大型やMK219やLR333、RM211同様に前扉に昇降式の新ステップを装備しました。 1995年式のU-RJ3HJAAと大きな外観差はありませんが、前ドア上部が黒塗りに、リアランプが大型化されています。 3台共に2009年7月までに引退、他社等への移籍は叶わず解体されています。 写真は【学01】系統の東海大学前駅〜オレンジヒル循環線に充当された際の姿で2006年のLED表示化改造後の姿です。正面の運賃幕が黒地タイプへ交換されていました。撮影 it様 |
1996年下期のKC-HT2MMCA改(い9)です。1994年上期以来、2年ぶりのHT系投入となりKC-HT系も初投入となりました。U-HT系と比較するとマーカーランプが廃止され、屋根上の換気扇の数も減りました。リアではランプ類が大型化、バックランプがバンパーに埋め込まれ、方向幕上の取っ手が廃止されました。 この代は伊勢原に1台のみが在籍しましたが、2009年7月に運用離脱し廃車となりました。 |
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1996年下期のKC-RJ1JJAA(せ62)です。上期に続いて配属されたレインボーで、綾瀬に1台のみが投入されました。綾瀬での在籍は2年ちょっとと短く、1999年に相模原へ移りました。 |
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2001年10月の改番が実施される前までは「さ0153」でした。この車以降、日野の中型路線車は投入されなくなりました。 |
長く相模原に在籍したレインボーですが、2009年2月に相模原から舞岡へと転属しました。舞岡は日野の大型、小型車は在籍しますが、日野の中型車は初登場となりました。ただ、予備の予備といった存在だったため営業運転に入った形跡もなく、3月中旬に大和へ転出しました。撮影 it様 |
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1996年下期のKC-RJ1JJAA(や189)です。最後の1台となったレインボーですが、2009年3月に舞岡から大和へと転属し、4月6日に新設された町89系統の専属車両となっています。撮影 it様 |
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特に予備車扱いなどはされておらず、町89系統の路線新設からほぼ毎日運用に就いていました。また、町田市鶴間地区において道幅の狭い場所を通るため通行禁止道路通行許可証が交付されています。 そして2009年7月末に廃車となり、神奈中の路線車から日野の中型車が型式消滅となりました。撮影 綾瀬師匠様 |
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1996年下期のKC-RJ1JJAA(せ62)で希少だった中型のレインボーRJです。綾瀬に1台のみが投入された代で、神奈中では今のところこの車が最後の日野中型となっています。 1999年初頭に相模原へ転属した後、舞岡→大和へと移り2009年7月にに引退しています。写真は転属直前となる1998年12月に海老名駅東口で撮影された姿で長16運用時、2枚目も1999年1月の同系統です。撮影 菅井隆行様 |
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こちらはLED表示化改造後の記録で相模原駅南口での様子、相05系統運用時です。 当時の峡の原車庫所属は中型車の配置が多かったため殆どの系統で見られました。 2001年10月に、さ0153から→「さ0138」へと改番されました。 足回りは直6のJ08C<J-U>型(158kW(215PS))を搭載しました。KC-RJは3台いずれも他社への移籍は果たせず解体されています。 |
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1997年上期のKC-HT2MMCA改(い94・い91)です。1996年下期に続いて投入されたKC-代のブルーリボンです。2010年3月に全廃となりました。 |
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1997年上期のKC-HT2MMCA改(い92&い16)です。伊勢原は2004年12月からLED表示化改造が進んでいますが、2005年1月に入りKC-HT系にもLED仕様車が初めて見られるようになりました。 |
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1997年上期のKC-HT2MMCA改(い92)です。この代は伊勢原に4台が配属されました。写真はLED化される前の姿です。撮影 Yu131様 |
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こちらは「い91」です。この年式は座席シート交換車が大半を占める中、撮影当時は4台とも赤シートを維持していました。 |
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1997年上期のKC-HT2MMCA改(い92)です。 |
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1997年上期のKC-HT2MMCA改(い93)です。2005年1月からの約2年半の間、GPSを搭載していた時期がありました。撮影 快速準急様 |
1997年上期のKC-RX4JFAA(さ194)です。B&Yカラーを纏う神奈中初のAT車で、リエッセもこの車が初めてとなりました。相模大野駅、町田バスセンターからのグリーンハイツ循環線で見られましたが、晩年は伊勢原に在籍していました。新製当初は座席デザインも他車とは異なるものでした。 ATはトルコン式(前進3段 エクセディ製PATM)で、アヒルがマーキングされていないB&Yカラーのリエッセはこの車が唯一の存在でしたが、2001年11月に戸塚へ転属した際にマーキングされています。 |
1997年上期のKC-RX4JFAA(い101)です。2009年5月に戸塚から転入してきた車で、これまでの中型車に代わり鶴巻温泉駅〜東海大学線や鶴巻〜車庫線で使用されています。レインボーRBが現役だった頃も小型車で運行されていたため、久々の小型車復帰となりました。右は東海大学付近のケヤキ並木を走る姿です。 新製当初は「さ194」号だった車で、アヒルは戸塚時代に貼られましたがリアはスペースの関係で省略されています。2010年3月に廃車となっています。撮影 YSやすゆき様 |
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舞岡担当の東55系統に充当された「と204」号(1997年上期)です。舞岡の元お101・お102リエッセが検査等で運用に入れないときは戸塚車が応援にやって来ることもありました。撮影 綾瀬師匠様 |
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1997年下期のKC-HT2MMCA改(い16)です。4台が上期に続き伊勢原へ投入された代です。上期と比較すると運賃幕が黒地式に変わったほか、側面前寄りのスピーカーが前ドア寄りへ移動し、新ステップ部の色が黒→車体色の赤へと変更されています。 なお、この車のみドア側ミラーのアーム付け根が上部に移設され、同期の一部も前面LED表示器下に付いていた取っ手が2個とも撤去されています。撮影 ニック様 |
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1997年下期のKC-HT2MMCA改(い64)です。2010年8月に全廃となっています。撮影 2051F様 |
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1997年下期のKC-HT2MMCA改(い16)です。最近になって正面の運賃幕が、1997年上期新車までの旧仕様の物へと交換されています。旧タイプ幕のHT系も在籍するため違和感はないですが、旧仕様へ交換された例は稀なケースです。撮影 Ad-blue様 |
1997年下期のKC-HT2MMCA改(や089)で、2010年8月に伊勢原から転入したブルーリボンです(元い1)。中山ではもちろん初のHT系列となりましたが、後継で町田から転入する三菱PJ-MP35JMの新や089が来るまでの僅か約3週間だけ在籍した車です。『や』社番を付けたHTは1997年春に廃車となった旧塗装のP-HT236BA(や16・や17)以来となりました。中山での稼動は実質約2週間程度でした。 伊勢原の1997年式ブルーリボンだけは赤座席シートからの更新が遅く2008年頃だったため晩年は優先席も青系シート生地でした。撮影 it様 |
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こちらは伊勢原時代の撮影です。 |
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こちらは大和転入直後のリアで、社番は「や089」となっていますが湘南22か324ナンバーの状態です。 たまたまですが両サイドも含め個性溢れる車の並びとなっています。撮影 綾瀬師匠様 |
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1997年10月投入のKC-HT2MMCA改(い16)です。 伊勢原に在籍していたKC-代のブルーリボンで、1997年は4月と10月に各4台が導入されました。下期車は2010年8月までに引退し写真の車は宮城交通へ移籍し活躍しましたが2016年までには引退し解体されています。撮影 2051F様 |
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1997年下期のKC-RX4JFAA(と201)です。B&Yカラーやアヒルマーキングが施された小型のリエッセ、AT仕様で、戸塚駅西口〜上矢部高校循環用に新製され2台が投入されました。その後の利用客増で徐々に中型車化され、2台とも平塚や伊勢原へ転出し、2010年10月まで活躍しました。 |
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1997年下期のKC-RX4JFAA(せ200)です。2005年2月に藤沢から転入したリエッセで、新製当初は藤沢に在籍していました(元ふ204→ふ0204→と204→ふ0204)。LED化は綾瀬に来てから実施されています。時々茅ヶ崎へ貸出されたこともありましたが、2007年8月に茅ヶ崎へ転出しました(ち200↓)。撮影 綾瀬師匠様 |
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1997年下期のKC-RX4JFAA(ち200)です。主にえぼし号で使用されていたリエッセで、スペシャルカラーのえぼし号コーナーにも掲載している車です。このほか、COCO TOWN(ココタウン)の送迎にも使用されることもありました。新製当初は藤沢に配属されており藤が岡循環の湘南ロコ号として活躍しました。転属歴が多く、戸塚や綾瀬に在籍していた時期がありました。 |
1997年10月投入のKC-HT2MMCA改(や089)です。 上期に続き下期も伊勢原にのみ4台が配属されていましたが、写真の車は2010年8月に中山へと転属した1台です(元い1)。 中山では最初で最後のブルーリボンHTとなり驚きをもって迎えられましたが中山での運用実績は2週間程度で止まり同月中に引退しています。引退後は宮城交通へと移籍していますがこちらでも既に引退し解体されています。 写真は中山駅での様子です。撮影 it様 |
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1998年上期のKC-HT2MMCA改(い50)です。この代もやはり伊勢原のみに在籍し、写真の車1台のみが投入されました。車検も残っていましたが2010年8月に廃車となっています。 |
1998年上期のKC-RX4JFAA(い65→ひ0115)です。同年5月下旬に新設された愛甲石田駅〜あかね台循環線の専用車で、当初は伊勢原に2台が配置され、その後は平塚の湘南神奈交バスに管理委託されていました。 |
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1998年上期のKC-RX4JFAA(ひ0115)です。あかね台循環用のリエッセで2台が在籍しますが、新製当初は伊勢原にいました。B&Yカラーを纏うAT車です。写真の車は2011年4月までに津久井へ転属していましたが、2012年1月に廃車となりました。 |
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このキャラクターはリエッセやB&YカラーMK・MJのボディにマーキングされています。呼び名は幾つかあるようです。アヒル、ガー助など。。 |
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こちらはバス停のポールです。アヒルがマーキングされたバスが走る路線の多くはこの型のポールが使用されています。写真は秦17系統の扇沢バス停です。撮影 清水和彦様 |
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左は1997年下期、右は1998年上期投入のKC-RX4JFAAです。右は増備された「と203」号車ですが、2000年までアヒルがマーキングされていませんでした。撮影 種田様 |
1998年上期のKC-RX4JFAA(ひ0107)です。あかね台線で活躍するアヒルのリエッセで、舞岡車同様に2006年1月末にLED表示化改造を受け、同時に音声合成装置も搭載するようになりました。LED機器はリエッセ専用の小さい機器です。 LED画像は1枚目が前面、続いて側面、3枚目は始発駅停車中の側面で下段がスクロール表示されていました。 |
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1998年下期のKC-HT2MMCA改(い81)です。この代は1台が在籍するのみでISSを装備し、KC-HT系最後の導入となった車です。この撮影当時はGPSを装備しているため愛甲石田駅系統や、写真の伊80のほか七沢行運用に入る事が多かったです。2010年12月16日より平塚・伊勢原地区でもバスロケサービスが拡大された関係で運用限定は解かれました。撮影 快速準急様 |
1998年下期のKC-HT2MMCA改(い81)で、神奈中最後の1台となったブルーリボンHTです。足回りは169kW(230PS)のM10U型エンジンを搭載し、FFシフト、DD5段ギア仕様です。撮影 横浜平島様 |
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平88系統の運用時の登坂シーンです。2010年12月16日に伊勢原管内全域でバスロケーションサービスが拡大されてからは運用幅も以前同様に広がりました。撮影 Yu131様 |
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平塚駅付近を走る様子です。バスロケ拡大以降は運用限定されていません。撮影 湘南22様 |
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1998年下期のKC-HT2MMCA改(い81)です。2011年9月までに引退予定でしたがNOx・PM法の猶予期間が延期されたのを受け車検を更新しています。撮影 ブルーペンギン様 |
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伊勢原駅北口近くの転回場で待機時の様子です。撮影 Yu131様 |
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こちらは愛甲石田系統時の様子。古参ながら車両状態も良好です。 |
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最後の1台となったブルーリボン「い81」の幕式時代、2004年に撮影した写真です。 |
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七夕期間中の3日間はいずれも平塚駅方面へのダイヤに充当されました。撮影 Yu131様 |
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6月に一旦貼られた新ブランドマークですが、両サイドに関しては7月31日に白い縁付タイプへの貼り替えが実施されました。確認できた路線運用では2012年8月20日、平塚駅23時10分発の平90系統伊勢原駅南口行が最後となりました。翌21日に廃車作業が行われ、神奈中のブルーリボンHTは全廃となりました。撮影 ブルーペンギン様 |
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1999年上期のKC-RX4JFAA(せ202・せ200)です。同年6月26日から長40・41系統にて活躍を開始しました。綾瀬に3台が投入された代ですが3台とも転属し、最後は津久井に1台(つ080)が残るのみでした。その「つ080」も津01系統の廃止により2014年4月に全廃となったグループです。 |
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「せ200」です。2000年2月16日から暫くの間は藤沢湘南台病院の無料送迎にも使用されるようになり、2路線平日・土曜共に4往復が設定されていました。また、ボディにはマグネットが貼られていました。撮影 種田様 |
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1999年上期のKC-RX4JFAA(せ200・せ201)です。長40系統の長後駅西口〜上土棚団地循環や、長41 こぶし荘経由の湘南台駅西口行運用時の姿です。撮影 綾瀬師匠様 |
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1999年上期のKC-RX4JFAA(お206)です。東50・東55系統で活躍したアヒルのリエッセで、2003年10月に綾瀬から転属してきました。 |
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1999年上期のKC-RX4JFAA(お205・お206)です。2003年10月に綾瀬から転属してきた2台です(元せ201・せ202)。東戸塚駅で待機中の姿です。撮影 綾瀬師匠様 |
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2000年11月投入のKK-RX4JFEA(お102→や141)です。舞岡には2台が在籍したリエッセで[東50・東55]系統専用車です。2003年10月に改番されました。撮影 it様 |
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2000年11月投入のKK-RX4JFEA(お0202→ひ0130)です。リエッセも新ブランドマークが貼られましたが、側面はドア上にはなく前ドアの右横に貼られ、サイドのオレンジKanachuロゴは消されています。撮影 D特急様 |
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2000年11月投入のKK-RX4JFEA(ひ0130)です。アヒルのリエッセですが、写真の車は2014年1月に舞岡から転入しました。2013年9月に舞岡へポンチョ新車が投入された際に一時社番無しで離脱していましたが改番し引き続き運用されていました(元お102→お202→お0202→お0209)。撮影 ブルーペンギン様 |
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2000年11月投入のKK-RX4JFEA(ひ0130)です。2014年1月に舞岡から転入した1台で、しばらくはワンマン機器未設置で路線運用が見られませんでしたが、ポンチョの予備としてこの4月中旬から愛30 愛甲石田駅南口〜東成瀬循環線で見られるようになりました。撮影 ST8709様 |
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2000年11月投入のKK-RX4JFEA(や141)です。2014年3月に相模原から転入した車で、大和市コミュニティバス「のろっと」等で使用されました、相模原時代の「さ0103」は2ヶ月と短く、1月に舞岡から転属したばかりでしたが路線での走行実績は無かったようです。撮影 菅井隆行様 |
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2000年11月投入のKK-RX4JFEA(ひ0130)です。2014年1月に転入した元舞岡車で、同年4月からはポンチョの検査時等の代走として愛30 愛甲石田駅南口〜東成瀬循環線で見られる車ですが、今年の正月三が日は愛02 愛甲石田駅〜あかね台循環で運用する姿が見られました。同系統でのリエッセ運用は1998年式KC-代が活躍していた2011年3月以来でしょうか。撮影 NJ929様 |
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2000年11月投入のKK-RX4JFEA(ひ0130)です。東成瀬循環の予備で活躍したアヒルでしたが、2016年3月に舞岡から転入したポンチョへ置き換えられ本日運用を離脱し廃車となりました。写真は離脱する直前の姿でフロントガラス内には『Thank you ひ0130 2000年〜2016年』の文字と運用中の写真が載ったカードが飾られていました。 今回の動きによりB&Yカラーのアヒル・リエッセは全廃となり、リエッセそのものも路線乗車可能なのは平塚市シャトルバス用の2004年式「ひ100」号車のみとなりました。撮影 Yu131様 |
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2001年8月投入のKK-RX4JFEA(と205→ち200)です。平成10年排出ガス規制に適合したKK-代で、KC-と比べると中ドアの幅が20cm広がりました。戸塚にはこの1台が、舞岡には2000年式が2台在籍した型式でやはりAT車です。 |
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2001年8月投入のKK-RX4JFEA(と205)です。戸塚のリエッセは担当する路線の利用客増により中型車化されたため、殆どが転出し、この車が最後の1台となり弥01系統にて使用されていましたが、2010年10月に茅ヶ崎へと転出しています。撮影 綾瀬師匠様 |
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2005年3月投入のACG-HU8JLFP(お102)です。まだまだ新鮮な存在ではあるものの少しは舞岡管内にも馴染んできた頃でしょうか。30系統の上大岡駅→芹ヶ谷経由→上永谷駅行運尿時の姿です。撮影 Fujishima様 |
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2005年3月投入のACG-HU8JLFP(お102)です。2005年11月の記録です。62系統運用時の姿で千丸台団地で待機中の姿です。62系統は横浜から移管されて年月が浅いですが、2006年3月27日に大和(中山)へと移管されたため日野ハイブリッドバスによる62系統の運用は1年しか見られませんでした。撮影 や72様 |
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こちらも62系統で運用中の「お156)で横浜駅西口での様子です。撮影 綾瀬師匠様 |
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2005年3月投入のACG-HU8JLFP(お114)です。舞岡に4台が在籍するハイブリッド・ノンステップ車で、お114号車のみ「環境にやさしいHybrid NON-STEP」のロゴが貼られています。 |
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2005年3月投入のACG-HU8JLFP(お169)で、ブルーリボンシティ・ノンステップのハイブリッド仕様です。30系統で運用中の様子で、この時点では4台中2台が横浜神奈交へ管理委託されていました。撮影 Ad-blue様 |
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2005年3月投入のACG-HU8JLFP(お0102)で、舞岡に4台のみが在籍するブルーリボンシティ・ノンステップのハイブリッドバスです。撮影 さっしー様 |
2005年3月投入のACG-HU8JLFP(お114)です。 舞岡に4台のみが在籍するハイブリッド仕様のブルーリボンシティ・ノンステップバスですが、 2018年5月に2台が引退し、現時点では写真の「お102・お156」の2台を残すのみとなりました。 撮影 わい様 |
ハイブリッドの「お102)です。 この車は正面下部の「ノンステップバス」表記が英文字やサイズダウン化されず今もカタカナのままの仕様を保っています。 3枚目は舞岡最古参2002年式KL-MP35JM「お159」と並んだときの様子です。 撮影 わんたろう様 |
ハイブリッドの「旧お169・お102・お156)です。 お114・お169・お102・お156の4台が在籍しましたが、114・169号車は2PG-MP38FK新車へ代替となりました。 撮影 スナイパー様 |
2005年3月投入のACG-HU8JLFP(お102・旧お169)です。 残り2台となった舞岡のブルーリボンシティ・ハイブリッドです。当たり前のように見られた並ぶ機会も半減してしまいました。 中ドア上部には標準装備されていますが、前ドアに取付される車外照射灯は神奈中では珍しい装備でしょうか。 撮影 ゆーき様 |
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2005年3月投入のACG-HU8JLFP(お 156)です。 4台在籍したブルーリボンシティのハイブリッド仕様も僅か1台となってしまいました。 写真は今年1月の積雪時に撮影された1枚で、このようなシーンも見納めとなってしまい、2018年8月までに全廃となりました。撮影 へんぺーのん様 |
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2005年3月投入のACG-HU8JLFP(お102)です。 2018年に全廃し4台が舞岡に在籍したハイブリッド仕様のノンステップバスです。横52系統の横浜駅西口→今宿・川井宿経由→中山駅線運用時の姿で中山駅到着直後の様子です。 2006年3月27日改正でこの路線は大和(中山)へ移管されたため、ハイブリッドバスでは新製から1年しか見られませんでした。撮影 や72様 |
2005年12月投入のPJ-KV234N1(い23・い73)です。伊勢原営業所に配属された初登場のブルーリボンII・ワンステップ車です。デザインや機器もいすゞエルガそのものなので判別も困難ですが、エルガがLV系なのに対し、このブルーリボンIIはKV系となっています。 |
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2005年12月投入のPJ-KV234N1(い73)です。伊勢原営業所の初代ブルーリボンIIは2台が配置されていますが、いずれも2007年5月にバスロケ用GPSが装着され厚木市内を走る愛甲石田駅系統メインの運用となっており、平塚方面の運用が以前より少なくなりました。撮影 ゆめバス様 |
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2005年12月投入のPJ-KV234N1(い23)で、愛甲石田駅系統の運用に入るブルーリボンIIの様子です。伊勢原営業所管内は神奈中で唯一「中乗り」方式が実施されています。撮影 平社員様 |
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2005年12月投入のPJ-KV234N1(い23)で、ワンステップのブルーリボンIIです。2008年11月末から1ヶ月間ラッピングが施されていたため、施工時に張られた「かなちゅうロゴ」シールが中ドア戸袋窓に現在も残っています。撮影 御殿場ライナー様 |
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2005年12月投入のPJ-KV234N1(い73)です。伊勢原駅南口〜平塚競技場を結ぶ臨時直通便として運行されたときの様子で、専用のLED行先表示が用意されています。撮影 太セン様 |
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こちらも「い73」ですが、伊勢原駅北口〜総合運動公園への直通便運行時の様子です。やはり専用の表示が用意されており、多くの臨時が神奈川中央交通表示で代用される中、伊勢原や平塚営業所は臨時便のLED設定が豊富の印象を受けます。撮影 Yu131様 |
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2005年12月投入のPJ-KV234N1(い73)です。2013年の七夕臨で初設定となった伊勢原駅南口〜平塚駅の直行便運用時の様子です。撮影 NJ929様 |
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2005年12月投入のPJ-KV234N1(い23)です。 LEDヘッドライトへの交換が徐々に進んでいますが、伊勢原のブルーリボンUも上側のロービームが更新されています。 かつて日野車が多数在籍した伊勢原も現在は10台のみとなり全てエルガの旧デザイン仕様のみが在籍です。撮影 みずき様 |
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2006年2月投入のPJ-KV234N1(い10)です。この代は1台が投入されました。この車もGPSが2007年5月に設置されており、伊勢原のエルガ顔PJ-は3台ともGPS付となっています。 2020年2月26日の運用をもって引退となりました。 |
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2006年8月投入のPJ-KV234N1(や19→や048→現な48)です。大和では初登場のブルーリボンII・ワンステップ車ですが、大和への日野新車は1986年下期以来20年振りとなりました。 同スタイルのいすゞエルガも並行して投入されているため、区別が難しく調査に難儀します…。現在は中山へ移り、改番され横浜ナンバー化されています。撮影 平社員様 |
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ブルーリボンIIの社番フォントは他型式より若干太めの仕様です(貼りかえられた、い73を除く)。 |
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いすゞエルガとの比較です。 い24は日野BRCで↑い23との比較。 |
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2006年8月投入のPJ-KV234N1(や048)です。2010年3月に横浜神奈交バス中山営業所へ管理委託され鶴間から移りました(元や19)。エルガスタイルとはいえ中山のブルーリボンUはこの1台が在籍するのみでした。撮影 つっち様 |
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2006年8月投入のPJ-KV234N1(な48)です。 中山では僅か1台のみが在籍するブルーリボンUです。新製当初は大和に在籍していました(や19)。中山には2010年に移っています。 少し早い2018年7月に廃車となっています。撮影 いそぶー様 |